オンベルの花・・・多数の花が一点に集まった形状の花序。オンベル(散形花序)の観葉植物ジャイアント・ホグウィッドは東ヨーロッパから中央アジアに生息し、19世紀に西ヨーロッパに持ち込まれます。本品は、植物学者ガレの目に留まったこの植物をテーマに制作された、特別な椅子です。パリ万博でこのオンベルの花をテーマに制作された家具は一世を風靡し、ヨーロッパの名立たる美術館に今尚、展示されています。
エミール・ガレの美の集大成とも言える、代表的な植物を題材にした荘厳な雰囲気を放つ本品。その証として、ガレのサインがこの椅子の側面に刻まれています。椅子にサインが施されることは大変珍しく、ガレと同時期に活躍したルイ・マジョレルの椅子作品にはほとんどサインが残っていません。E.galleの刻印が、アルファベットの横文字ではなく縦にされているところが、日本芸術を愛し、その影響を受けた作品を多く手掛けたガレの想いが込められています。また、この椅子に合わせて誂えられた、有機的な植物柄が型押しされたレザー(本革)は、大変稀少な当時のオリジナルのものです。実用としてでは無く、作品として大切に飾られていたのでしょう。
ガレが拠点として活動したフランスのナンシー地方にある、ガレ、マジョレルなどによる作家の作品を展示しているナンシー美術館のガーデンに、この椅子の題材であるジャイアント・ホグウィッドは今尚、生息しています。自然界の美しさをお部屋の中に・・・・ガレの芸術観がこの家具を通して感じられます。
椅子にサインが施されることは大変珍しく、ガレと同時期に活躍したルイ・マジョレルの椅子作品にはほとんどサインが残っていません。E.galleの刻印が、アルファベットの横文字ではなく縦にされているところが、日本芸術を愛し、その影響を受けた作品を多く手掛けたガレの想いが込められています。
多数の花が一点に集まった形状の花序。本品の題材であるオンベル(散形花序)の観葉植物ジャイアント・ホグウィッドは、東ヨーロッパから中央アジアに生息し、19世紀に西ヨーロッパに持ち込まれます。植物学者ガレの目に留まり、ガレの芸術観を駆使して本品が制作されています。
1ヘクタールの広大な庭園を所有したガレは、2000種類以上の世界各国から取り寄せた植物を栽培していました。ダーウィンの影響を受け、植物の突然変異に着目して論文を発表し、研究を続けましたが、庭園は作品に用いる花や植物の宝庫でもありました。ヨーロッパで目新しい観葉植物であった、ジャイアント・ホグウィッドに感銘を受けた植物学者ガレの想いが本品に込められています。
文豪ゴンクールが、日本芸術に心酔したことが、アールヌーヴォー誕生の鍵と言えます。ゴンクールは人脈が幅広く、社交界の中心に存在する上位貴族から、ドーテ、ゾラ、ツルゲーネフといった文豪、ガレ、ドガ、ロダンといった芸術家に及びました。ロココや日本芸術などゴンクールの趣味で設えられた空間に招かれた彼らは、影響を受け貪欲に日本芸術を蒐集し、着想の変革を得てアールヌーヴォーという芸術活動を促進することとなりました。日本芸術の影響は、本品にも見られます。
ヨーロッパの上流階級の婦人にとって、主催するサロンの評判は、自己評価に重要な影響を及ぼしていました。サロンに招くゲストの人選、室内の設え、メニューのセンス、食器やカトラリー、ワインの趣味、食後に催す音楽会の選曲、自らがパトロンとなって支援している演者の実力…。建築、室内装飾、食器、宝飾品、衣装…空間と自らを、最新流行のアールヌーヴォースタイル一色にすることは、19世紀末のサロンの主にとって自己顕示の格好の手段でありました。
日本の芸術に大いに影響を受けたことで知られるガレですが、「北斎漫画」や日本の画帖を模写していました。北斎漫画は、葛飾北斎が絵手本として描いたスケッチで、人物や風景、花鳥画、妖怪変化まで1814年から1878年までに4000図が全15編発行されました。陶器の輸出の際、梱包材として浮世絵と共にフランスに渡り、銅版画家ブラックモンによって偶然見つけられ、印象派の間で一大ブームとなりました。日本人独自の自然観を愛したガレ。作品を通して日本人の心に染みる芸術観を感じ、本品の縦書きのサインにその影響が垣間見えます。