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リバティ社製 A&C ショーケース<br />
1900年代 英国 マホガニー<br />

リバティ社製 A&C ショーケース
1900年代 英国 マホガニー

SOLD OUT

 

 

1862年、ロンドンの洋服店で働くひとりの青年が、大きな夢を抱いていました。「もし自分の店が持てるのなら、私が流行を全部変えてやる。」彼の名は、アーサー・ラセンビィ・リバティー。

そのリバティー氏が創設したリバティー社製による貴重なショーケース。

大いなるバイタリティーと並はずれて鋭い美的感覚が、アーサー・ラセンビィ・リバティー氏の財産全てでした。ある日偶然開梱した品々を見て、その新鮮な美しさに言葉を失います。それらは、ロンドン万国博覧会に展示する日本の工芸品や美術品でした。青年リバティーは、稲妻のようなインスピレーションに打たれます。日本のスタイルが、必ず人々を魅了する!1864年、彼は念願の独立を果たします。原という日本人青年を雇い、従業員わずか3人で、インドの絹織物やアフリカ・日本の美術工芸品を取り扱いました。当時、ロンドンはすでに大都会へと成長しており、上流階級の人々は豊かさに倦怠さえ覚えていました。リバティーが取り扱った異国の素晴らしい品々は、新鮮な感動を人々にもたらし、やがてはヴィクトリア女王やエドワード7世さえ感嘆させ、なかでも特に日本の美術工芸品は、芸術家や建築家に多大な影響を及ぼしたのです。やがてリバティー百貨店は、最先端デザインの発信地と讃えられるようになりました。

1883年、リバティー百貨店は、英国王立アカデミー会員の画家で建築家であるレオナルド・ワイバードを総指導者に置き、オリジナルの家具装飾部門をスタートさせます。アフリカやアジアの伝統工芸品にヒントを得たり、アーツ&クラフツに中世のケルト的美意識を融合させたりするワイバードのデザインは、「前衛」と評され、ヨーロッパ中にセンセーションを巻き起こしました。このショーケースは、ワイバード在籍時に製作されたもので、ロンドンのオークションで競り落とした貴重な逸品です。
(※オークションンについてはこちらのジャーナルをご覧下さい)

それでは家具を見ていきましょう。一見ブックビューローのようなデザイン。表面、側面に渡って家具のほとんどをガラスが覆っているので、大胆に視界を取り入れることができます。明るい赤味がかった上質のマホガニー材が、シンプルな構成に重厚さを加えています。立体的に面取りされた分厚いガラスの重さを支える蝶番。モダンなデザインを実現させる、家具製作技術の高度さが垣間見られます。

上段、中段、下段と扉を開けると、底板部分と背景部分に、純白のベルベットが贅沢に敷き詰められています。よく見てみると、表面にうっすらと円形の凹みが数か所残っています。趣味の良いティーセットが、並んでいたのでしょうか―かつての所有者は、洗練されたサロンで、いそいそとパーティーを取り仕切ったのでしょう。

中段の飾り棚の下には、所々に職人技の粋が活かされています。引き出しには、表面ばかりではなく、目に触れない内側にもマホガニー材が使われています。中央部には上質の家具だけに見られる補強の板が渡され、機械を使わない手作業が細部に施されています。左右対称に取り付けられた鉄製の取っ手。日本刀の鍔を連想させる、丹精なデザイン。しなやかなフォルムに、耽美的な美意識が漂います。そして、この家具で最も目を惹く花の象嵌細工。純銅を使った象嵌細工は家具の中でも極めて珍しく、リバティー製家具の特徴の一つに上げられます。ほんわりと優しく、柔らかく光る銅の花。ほほえましく花を囲むガク片。ゆらゆらと伸びる葉。家具の下部は、アーチ型に切り取られ、か細い脚には、見事なバランスで四角い足が取り付けられています。アーチの上には、左右対称にチューリップの蕾が、優しく蔓を差し出しています。

時代の最先端を走るデザインであるのに、家具全体から手仕事のあたたかさが感じられ、遠い1900年を、なぜか親しく空想してしまいます。時の忘れ物のように、美しいまま残ったショーケース。美は、永遠に損なわれることなく見る者の中にも生き続けます。

  • 引き出しの内側にLIBERTY. & Co.の焼き印が押されています。リバティー百貨店の製品である証に、「LIBERTY. & Co.」の名がプレートに印字されて打ちつけられていたり、蝶番に彫り込まれていたりするのがほとんどで、焼き印は稀少です。

  • 中段前面の開き戸を支える左右の小引出。引き出すための取っ手の美しさをご覧ください。柔らかく加工が容易な純銅に金メッキが施されています。水面の波紋のような幻想的な模様。 うっすらと浮かび上がる緑青に、侘び・寂の美が、偶然を装って現れています。

  • 下段の扉、上部に立体的な凸ガラスが埋め込まれています。凸ガラスを通して眺めるショーケースの内部は、さながら不思議の国です。

  • 斜めから見た中段の表情です。180度どこから覗き込んでもコレクションを楽しめる設計です。1851年のロンドン万博で展示されたアクアリウム(水族館)や、ガラス張りの植物園、水晶宮を連想させる空間です。

  • アーサー・ラゼンビー・リバティ(1843-1917)
    家具装飾部門の大成功後、1890年代、リバティーは英国を代表するA&Cのデザイナー達と多くの製作に乗り出します。服飾品や室内装飾に留まらず、花瓶・時計・ジュエリー・オリジナルのテキスタイルや壁紙などは、パリに店舗を構えたこともあり、ヨーロッパ中で流行します。イタリアでは、「アール・ヌーヴォー」のことを、「Stile Liberty」と呼びました。

  • 1862年ロンドン万国博覧会。初代駐日総領事および公使を務めたラザフォード・オールコックは、日本を世界にアピールすべく、滞在時に買い集めた陶磁器や七宝、漆器や日本刀など、自らのコレクションを展示します。これが大反響を呼び、連日黒山の人だかりができました。やがて空前の日本ブームが起こるようになり、日本博覧会まで開催されました。A&C、アール・ヌーヴォー、耽美主義、プレ・ラファエロ派、印象派…この時代の芸術家達が、こぞって日本美術に大いなる刺激を受けました。

  • ラザフォード・オールコック (1809-1897)
    イギリスの医師・外交官。1858年~1864年初代駐日総領事および公使として滞日。尊王攘夷派に過激な迫害を受けながらも、命がけで日英関係のために奔走したオールコックは、温かい素朴な心を持った日本の庶民と触れ合うことで、徐々に日本と日本の文化を愛するようになります。若き日に趣味で彫刻を習うほど芸術を愛したオールコックは、日本の美術工芸を高く評価します。滞日時は、外国人で初めて富士山に登頂しました。

  • オペラ「ミカド」作曲ウィリアム・S・ギルバート。衣装・セット製作、リバティー百貨店。1885年に初上演された「ミカド」は、日本を舞台にした喜劇。リバティー社は、社員数名を日本に派遣して日本の着物や生活文化を学ばせ、製作に当たらせました。