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ルイ・マジョレル作ダイニングセット<br />
1900年代 フランス ウォルナット<br />

ルイ・マジョレル作ダイニングセット
1900年代 フランス ウォルナット

SOLD OUT

 

 

19世紀末、フランスに台頭した、アール・ヌーヴォー。革新的な芸術様式は、世界中を魅了しました。アール・ヌーヴォーが生んだフランス屈指の家具作家、ルイ・マジョレルによる1890年代製作のダイニングセット、「チコリ」(LE SALLE À MANGER modèle Chicorée)をご紹介致します。

1880年代、フランス北西部ナンシーで伝統的なルイ15世・16世様式の家具を制作していた若き家具作家ルイ・マジョレルに、転機が訪れます。ナンシーで活動するアール・ヌーヴォーの中心人物、エミール・ガレとの出会いでした。ガレ独自の革新的で古い習慣に囚われない自由な発想のものづくりを目の当たりにして、衝撃を受けたのです。かつて画家を志したマジョレルの感性に、新たな美の黎明が訪れました。
今回取り上げるのは、テーブル・椅子・大キャビネット・小キャビネットが構成するダイニングセットです。ダイニングセットが完品で見つかることは珍しく、しかもマジョレルの作品となると、稀少価値が極めて高い美術館展示級の逸品です。アール・ヌーヴォーとは、植物模様や有機的な曲線が特徴とされますが、今回取り上げるマジョレルのダイニングセットには、その本質が更に洗練され、具現化されています。細部を見ていきましょう。

ダイニングセットの中心となるのは、大キャビネットです。100年以上の時を経ても、全く変形することのない姿。巨大な家具の構造を支えているのは、細部や、目に留まらない背部にさえ丁寧に加えられた仕事です。側面・背面に正確に組まれた木材。木の枠に、木のパネルを組み込む技法は、かまち組と呼ばれます。家具の背面や、側面、収納棚の内部に、きっちりとかまち組が施されています。パネル部分の美しいウォルナットの木目が、家具全体の格調を上げています。また、飾り棚の小さな蝶番。巨大な扉を、デザインを邪魔することなくしっかりと支えています。
印象的なのは、飾り棚・収納棚。上下対称に組込まれています。下部収納棚の両扉は、中央に現れる孔雀の羽根のような木目さえ、左右対称に作られています。側面に左右対称の3段飾り棚。上下・左右対称の整合的な構図の中で、しなやかに伸びるチコリの葉の曲線が、この家具を優美に演出しています。美しい波紋のような木目の曲線、ゆるやかに流れる小川の様な曲線…アール・ヌーヴォーは、曲線に詩を語らせます。
3段の棚で構成される小キャビネット。1段目と同じ幅で左右にせり出す2段目の棚板が、全体のフォルムをより魅力的に見せています。引き出しに取り付けられた、流動的な曲線を描く取手。魔法にかけられて、真鍮に変身したチコリの若芽…成長する植物のみずみずしい柔らかさが、硬質の金属で写実的に表現されています。ゆるい曲線を描く引き出しには、オークの一枚板が底に敷かれています。贅沢の極みと言えるでしょう。
明るいウォルナットの色彩が、天板の上に存分に表現されています。「ブックマッチ」という、木材を観音開きにして継ぎ合わせる手法で、天板の上に木目が見事に左右対称に現れています。
ぶ厚い天板を支える装飾的な足。贅沢にも、大きな木材の塊をくり抜いて彫刻され、繋ぎ合わされた2種の曲線を描く足が、頑強な印象を与えるテーブル全体に優美な要素を加えています。木材の曲線彫刻には、作り手の技能が大いに発揮されます。収縮する特性をもつ木材の、どの部分を使うか、木材をどう加工するかで、100年の時を経ても変形しない上質の彫刻が完成するのです。
当時のフランスの贅沢なダイニングルームの椅子には、革やホースヘア(馬の上質なたてがみで作られた織物)が好んで使われました。背もたれのゆるやかなVライン、芥子色のなめらかな革をトリミングする鋲…鉄の鋲は真鍮でメッキされ古色(※パチネ)付けされ、重厚な質感が加えられています。ゆるやかな曲線を描く前方の足、硬質に反る華奢な後方の足…これら全てが、典型的なマジョレルのデザインスタイルです。サイドに施されたチコリの葉が、流れるような曲線にアクセントを施します。この椅子には、そこに存在するだけで空間を変えてしまう魅力があります。
※金属に線用塗料を塗装して、独特の風合いを出す技法

ダイニングセットの、様々な角度に現れる、バランスと優雅さを謳う世紀末の作家ルイ・マジョレルが表現する美の本質。革新的なデザインと高度な技術の見事な結晶。誇り高い芸術家の魂が、見る者の心を熱く揺さぶります。

  • 1.ルイ・マジョレル(1859-1926)
    アール・ヌーヴォーの代表的作家。家具・照明・金属加工のデザインと制作に従事。幼い頃から父が営む家具工房に出入りする。その才能は早熟で、11歳で制作した彫刻に買い手がつくほどでした。

  • 2.ミレーとマジョレル
    18歳になったマジョレルは、パリの名門美術学校エコール・デ・ボザールに入学し、「種まく人」、「晩鐘」を描いたバルビゾン派の巨匠ジャン・フランソワーズ・ミレーのもとで油絵を学びます。ミレーのもとで学んだデッサン・油絵の技術は、後の作品製作に大きな影響を与えました。

  • 3.ナンシー派
    マジョレルは1900年パリ万国博覧会に出展した睡蓮のシリーズを絶賛され、一流の装飾作家としての名声を得ます。翌1901年、ナンシーで活動する芸術家連盟、ナンシー派が発足されます。エミール・ガレを中心に、ドーム兄弟、建築家のリュシアン・ワイゼンバーガーらと共にマジョレルもリーダーとして名を連ねます。彼らがコラボレートした装飾作品・建造物などが、アール・ヌーヴォー様式として世界中に広まりました。(写真はマジョレル生前の邸宅「ヴィラ・マジョレル」に展示されているダイニングテーブル)

  • 4.マジョレルと金属加工デザイン
    マジョレルは家具創りにおいて装飾より構造を重視し、技巧的な取っ手やブロンズ細工で、家具全体に芸術性の高いニュアンスを加えました。金属デザインと加工技術の重要性を強く認識したマジョレルは、1890年代末には専門の金属加工工房を設けており、無機的で平坦な金属を使って有機的でしなやかな植物を表現する技法を極めました。1898年からドーム兄弟とのコラボレーションで、多くの名作を送り出しました。(写真は夢織所蔵のマジョレル&ドームのテーブルランプ)

  • 5.ヴィラ・JIKA(ヴィラ・マジョレル)
    1898年、マジョレルはパリの建築家アンリ・ソバージュに依頼して、3階建ての自宅を工房の向かいに建てさせます。マジョレル自身も階段手すりや家具を手掛けました。マジョレルスタイルが凝縮されたこの館は、妻のイニシャルから取ってヴィラ・JIKAと名付けられました。マジョレル逝去後売却されましたが、現在はナンシー市が買い取り、長期間の復元作業が行われています。

  • 6.世界大戦とマジョレル工房
    1916年11月20日未明、マジョレル工房は火災に遭います。膨大なデザインスケッチ、木材、製作道具、製作途中の家具、50年分の資料…全てが灰に帰しました。悲しみに追い打ちをかけるように、翌1917年、ドイツ軍の爆撃機がサン・ジョルジュの店舗を破壊し、リルの店舗は商品もろともドイツ軍に略奪されました。今日残っている作品は、幾度もの戦火をくぐって今日に残された貴重な美の遺産です。(写真は1900年パリ万博に出展した睡蓮のベッドとランプ。オルセー美術館収蔵)

  • 7..ダイニングルームLE SALLE À MANGER:
    18世紀まで、フランスの城館では会食のための部屋は決まっていませんでした。パーティのたびにサロンに隣接する大部屋に家具を運び込んで、終れば食器とともに下げていました。19世紀になると、ひとつの部屋に家具類が設置されるようになります。テーブル・椅子のみならず照明器具・カーテン・絨毯も組み込んで、ひとつの美的様式で統一されるようになったのです。

  • 8.ジャック・マジョレル:この肖像画を描いたのは息子ジャック・マジョレルです。父が祖父の遺志を継いで家具作家になったように、ジャックも父の若き日の夢を受け継いで画家になります。ジャックは旅を続けるうちモロッコに魅せられ、その地にアトリエを設けます。鮮烈なコバルトブルーの外壁と熱帯植物園のエキゾチックな館。ジャック逝去後売りに出され、デザイナー、イヴ・サンローランが所有します。サンローラン亡き今、館は「マジョレル・ガーデン」と名付けられ公開され、訪れる人々の目を楽しませています。