ボヌール・ドゥ・ジュール「一日の楽しみ」と名付けられた特別で優雅な家具。18世紀中頃から、フランス宮廷を中心にヨーロッパ各国の王侯貴族の貴婦人たちを魅了した贅沢なデスク。
フランスはナポレオンⅢ世時代に制作された、「貴婦人」陶板画をはじめ44枚の陶板画が華麗に埋め込まれたボヌール・ドゥ・ジュール。装飾芸術の極みと言える特別なオルモル細工にセーブル様式の美しい陶板。フランス宮廷文化のエッセンスをふんだんに感じることが出来る、優雅で秀逸な逸品です。
中央の鏡張りの棚は、どこか神聖なたたずまいは、教会のトレサリーのフォルムです。登頂のお花の陶板は、ステンドグラスの配置。側面の溝象嵌には、生命力の印アカンサスと、美の女神ヴィーナスの象徴シェルの繊細なオルモル細工が施されています。印象的な、鏡が施された棚。かつて、そこには邸自慢の装飾品が置かれ、背部の鏡にはきらびやかなシャンデリアや、優美な草花の彫刻や金彩が施されたパネル状の壁、マントルピースに飾られた花々が映し出されたことでしょう。西洋の室内装飾は、鏡に映りこむ室内の風景も、華麗な静物画の役割を果たします。
左右の扉には、それぞれ貴婦人の肖像画が描かれています。向かって右の貴婦人。シルバーがかった美しい髪を、ふわりと膨らませているのは、当時貴婦人の間で流行した髪型です。胸元を摘んだばかりの大輪の薔薇で飾り、艶然と微笑んでいます。抜けるように白い肌、優雅な鼻筋に、フランスの悲劇の女王の面影が重なります。
左の貴婦人の素敵なドレス。甘く淡いラベンダー色は、貴族の貴婦人が特に好む色です。胸元を飾る繊細なレース。夢見るような瞳を見開いて微笑んでいます。戯曲家・女優として名を馳せた、モンテッソン侯爵夫人の面影が重なります。この陶板は絵付けの技術が極めて高く、ふたりの貴婦人の高貴なたたずまいまで感じ取ることができます。セーヴル窯では、絵付師に画家を採用し、人物を描くことのできる絵付師は、最高位でありました。ピエール=オーギュスト・ルノワールは、画家として大成する以前、陶器の絵付職人をしていたと言います。この貴婦人像を描いた人物も、後に巨匠となったのかもしれません。つややかな漆黒の木材や幻想的な杢が浮かび上がる木材を背景に飾られる貴婦人と、咲き誇る花々の陶板。まるで美術館を訪れ、名画に魅了されている気分になります。
そしてこの家具を特別な存在にさせる、左右のオルモル像。髪型・服装から、貴族階級に属する男性です。向かって右の男性はたいまつを手にしており瞑想するような表情を浮かべています。詩を朗読しているのでしょうか。左の男性は、文書を手にしています。うつむいて、どこか思惑に耽っているような表情。名門貴族で文学者であり、17世紀のサロン文化のスターであった、フランソワ・ド・ロシュフコーの姿を連想させます。このように神話の神々や天使でなく、人物の像が装着される家具は珍しく、この優雅なボヌール・ドゥ・ジュールに、さらに貴族趣味を加味します。
中央の引き出しには、花々が描かれた、オーバル型や小さな円形の陶板がちりばめられ、見る者の目を楽しませます。見ると、陶板に掛かれている薔薇やスミレは、それぞれに画が異なります。丁寧な絵付けが家具の品格を高めます。ゆっくりと引くと、そこにスライド式の天板が現れます。花壺と草花の金彩で彩られた革が張られており、この上で手紙が書けるように工夫されています。ボヌール・ドゥ・ジュールは、貴婦人が手紙を書く文机の役割を果たし、時にお化粧道具を忍ばせ、くつろぎの時間を愉しむための家具でした。
家具を支える脚にも細かな装飾が施されています。溝象嵌に加えられた金彩。ブローチのように中心部に飾られた陶板。細部全てに、フランスの極上の美意識が宿ります。
今日はエリゼ宮のお茶会。ブドウのエッセンスが入ったリップバームで唇を整え、お出掛けの準備です。貴婦人の陶板の扉を鍵で開けると、中に小さな宝石箱が。近頃パリで大流行しているスティック型のルージュを取り出し、唇を彩ります。すると、魔法にかけられたように、気分がふわりと上昇します。
その日、この家具のかつての所有者には、どんな出会いが待っていたのでしょうか。