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夢織のおすすめ

エミール・ガレ制作ベッド<br />
1900年代 フランス

エミール・ガレ制作ベッド
1900年代 フランス

19世紀末、フランス。フォーブル・サン=ジェルマン界隈の貴族のサロンでは、ジャポニザン(日本芸術愛好家)であることが、流行の最先端でした。浮世絵、掛け軸、漆器、根付、果てには日本庭園や茶室まで、日本の芸術を生活に取り入れることは、当時のヨーロッパ上流社会の、知性と教養を裏付けるステイタスでした。日本の美術品は、高騰を続ける一方で、しびれを切らした一部の富豪達は、連れだって日本へ赴き、横浜や京都や尾張で七宝や陶芸、布目象嵌を買い求めるほどでした。

今回の夢織のおすすめは、1900年代フランス製、エミール・ガレ制作のベッドです。ガレの出身地であるナンシーの、ある邸宅から、同じデザインパターンのナイトテーブルと共に出て来たものです。デザインが、日本趣味に特化していることから、依頼主はジャポニザン(日本美術愛好家)で、日本の芸術品や工芸品を愛した人物であることが推測されます。また、ガレのベッドは製作数が少なく、このように色濃く日本趣味を表現したものは、文献に発見できず、アート作品としての価値も高いものであると評価できるでしょう。
それでは細部を見ていきましょう。

  • 目に飛び込んでくるのは、くっきりと判る木目のコントラストです。木材の木目を強調するデザインは、おおよそヨーロッパの家具には見難いものです。焼き杉細工などの日本の伝統工芸のイメージが、強烈に織り込まれています。

  • フットボード部分
    和室の欄間を彷彿とさせる景色です。ガレが得意とする日本画の花鳥風月の風景が、象嵌で表現されています。大胆に空間をとる構図は、日本画の特徴です。 左側、風にそよぐコスモス。ゆるやかに曲線を描きながら伸びる茎が、構図にエレガントなニュアンスを加えます。デフォルメされて描かれたオダマキ、可憐なリンドウが、微風を受けて優雅に舞っています。さながら、菊の国の美人たちの輪舞のようです。 右側、呼応するように咲くベラドンナbella donna。珍しいバーズアイ、鳥の目のような杢材で花の部分が象嵌されています。ベラドンナとは、イタリア語で「美しい婦人」を意味します。毒性が強いが薬効もあり、ルネサンスの頃、ベネチアの貴婦人達が葉のエキスを点眼して、目を大きく美しく見せたことが名前の由来です。 下方のリンドウの傍らに添えられた象嵌のガレのサイン。この時期に見られるLLの部分が少し上下して重なり合ったもの。最後のEが、朝顔のような形を見せていて、フランスのエスプリを感じ取れます。

  • ヘッドボード部分
    極めて独創的で、ガレの奔放な発想が見事に表現されています。左右の、ギリシャ・ローマ時代からの、古典的な壺型の装飾に浮き上がる木目。

  • 茶室の「にじり」や、板戸を想起させる3枚の板目に浮き上がる木目。日本の工芸品というより、建造物を連想させます。貴族のパトロン達が所有する日本庭園を、幾度となく訪れていたガレの脳裏に、設えられた茶室や庭門の光景が焼き付いていたのでしょうか。しかし、西と東の文化の融合が、このように斬新で鮮烈な感動を呼び起こすものだったとは……

  • 上部の美しい花の象嵌
    中央には、ナルキッソス(水仙)。ギリシャ神話で、泉に映った自らの姿に恋をした美少年が、化身したという伝説の花。可憐なフウロソウが取り囲んでいます。左右に曲線を描くしなやかな茎。端正で美しく、どこか神聖な風景。ガレの自然に向ける敬虔なまなざしが、草花をかくも気高く表現します。

  • ここで、このベッドにまつわる謎のお話を。ヘッドボードの中央部分に、“ZZ”の文字が見えます。象嵌の一部とは思い難い、しかし偶然とは言い難い………くっきりとした跡から推測するに、指輪で付けられた傷か、ペンで描かれた文字か、誰かのイニシャル?何らかの暗号?………。ガレの、日本的な、ナルキッソスのベッドにふさわしい謎の糸口です。

  • ガレのものづくり――新しい美とは
    植物や昆虫、海洋動物にインスピレーションを得たガレの奔放なアイデアは、自然を見つめるまなざしから生まれてきました。湿り潤う青白い闇に満ちた森のまどろみや、凍てつく海洋に、瞑想するようにただよう海藻の美しさを表現したのは、自然を表現することで新たな「美」を誕生させたガレ独自の視点に由るものでした。
    カラヴァッジョ作「ナルキッソス」水仙に化身する前の姿。ナルキッソスは、ナルシストの語源。

  • ガレの家具造り――象嵌
    ガレにとって象嵌の構図を考えることは、日本の芸術からインスパイヤされた独自のデザインを発揮できる格好のチャンスでした。家具造りに関して、全く素人であったガレは、象嵌や細部の彫刻を、刻銘にデッサンして専門の職人に伝えました。本作の花鳥風月にヒントを得た象嵌デザインが、日本画の「風情」まで再現しているのは、正確なデッサンと、それを実現できる技術の賜物と言えるでしょう。
    左)北川歌麿「画本虫撰」より 右)葛飾北斎「長春花に黄鳥」余白の美が、如何なく発揮されている花鳥画

  • ガレの家具造り――植物の構造
    祖父の代から民間の植物学者の環境に育ち、森林や山岳にフィールドワークに赴き、植物の専門的知識をガラスや陶磁器工芸に活かした父の影響を受けたガレは、さらにそれを発展させます。「樹木」という植物の生命を受け継ぐ木材を使う家具の構造に、植物の構造を投影することで、ガレの造る家具は生命感を帯び、独特の存在感を表現するのです。「家具」というより、実用を兼ねた彫刻作品と言えるでしょう。
    ※ガレネストテーブル。脚の個性的なデザインに、植物の構造が見られる。

  • ガレの家具造り――工房のあゆみ
    ガレは、1885年にナンシーのガレンヌ通りの工房に、家具製作部門を新設しました。1885年から1890年にかけては、ネストテーブル、ゲリドン(小型テーブル)、花台などの、ガラス作品を陳列する為のものから、衝立、長椅子といった小型家具を制作していましたが、1890年代には飾り棚、ショーケースなどの大型家具やベッドルームスゥイート、ダイニングルームスゥイートなどのアンサンブルを製作できるように発展していきました。写真はガレの工房

  • ジャポニズムの火付け役――林忠正
    19世紀末ベル・エポックのパリで日本美術店を営んだ林忠正は、流暢なフランス語と巧みな話術で、広い人脈を構築します。ヨーロッパ中の著名人や貴族、軍人、富豪、日本の皇族から、当時全く評価されていなかった印象派の画家達まで幅広いものでした。取り扱ったのは、浮世絵(日本国内で流布していないもの含め)、根付、掛物、着物、当時珍しかった日本原産の芍薬の種まで、ジャポニザン達を大いに楽しませました。
    ※林忠正(1853-1906)林は、マネ、ルノアールなど、フランス画壇から締め出された日本美術の影響を受けた印象派の画家達を援助し続けた。1900年のパリ万博では、民間人でありながら日本の事務官長に抜擢され、伝説となった「日本古美術館」を成功させている。

  • パリ万博の日本館
    1867年のパリ万博において大きな話題となったのは、「日本建築」でした。初めて見る紙と木の建物に、人々は驚嘆しました。そして1878年、万博会場トロカデロ宮に、小さな茶室と売店が設けられ、室内には銅器、漆地に貴石・螺鈿・象牙の細工の屏風、蒔絵の書棚、花鳥画の画帖、盆栽、銀の鷲が付いた衝立などが飾られていました。この茶室のことも、ガレの脳裏に残っていたのかもしれません。
    ※1867年薩摩藩が出展した日本建築。檜造りの6畳間に土間が続き、円形の窓が開けられ、多くの提灯で飾られた木と紙でできた茶店には、3人の芸者がおり、美しい着物やかんざしで着飾り、お茶をふるまったり、独楽を回し、手毬をつき、煙管をふかし見物客の眼を楽しませた。

  • パリのジャポニザン――ロベール・ド・モンテスキューとガレのコラボレーション
    パリ社交界の中心人物モンテスキュー伯は、1889年のパリ万博で、ガレの才能に惚れ込み、紫陽花の装飾がある箪笥を、ガレと共同制作します。この箪笥はシャン・ド・マルスの展覧会に出展され、ゴンクールに「真に独創的芸術」と称賛されます。伯爵邸には「紫陽花(オルタンシア)の部屋」があり、その箪笥の他にも紫陽花にちなんだ室内装飾で統一されていました。
    ※左)エドモン・ド・ゴンクール(1822 - 1896)中央)岸駒の描く虎 右)『 母親と戯れる若い虎 』 ウージェーヌ・ドラクロワ。ゴンクールは、岸駒の虎を、ドラクロワの虎たちと親近性があると評している。日本人の感覚に、フランス人と同一のものがあると直感していた。ちなみに江戸時代の絵師、岸駒は、本物の生きた虎を見たことがなく、研究と空想と妄想が産んだ怪物が、荒々しく屏風の上に存在している。

  • パリのジャポニザン――ロベール・ド・モンテスキューとガレのコラボレーション
    パリ社交界の中心人物モンテスキュー伯は、1889年のパリ万博で、ガレの才能に惚れ込み、紫陽花の装飾がある箪笥を、ガレと共同制作します。この箪笥はシャン・ド・マルスの展覧会に出展され、ゴンクールに「真に独創的芸術」と称賛されます。伯爵邸には「紫陽花(オルタンシア)の部屋」があり、その箪笥の他にも紫陽花にちなんだ室内装飾で統一されていました。
    ※左)ホイッスラー作モンテスキューの肖像 右)ホイッスラーの壁画があるピーコックルーム
    ゴンクールは、モンテスキューの紫陽花(オルタンシア)に対するこだわりは、ナポレオン3世の母、王妃オルタンスに対する家族の敬虔な想い出だろうと推測している
    ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(1834-1903)19世紀末ロンドンの画壇の中心人物で、ウエストミンスター公爵夫人、船舶王フレデリック・リチャード・レイランドなどイギリス有数の富豪をパトロンに持つ。特に耽美主義の代表作と評される、レイランド邸のピーコックルームの壁画は歴史に残る作品である。

  • 謎めいたベッド。かつての持ち主は、日本趣味であふれる寝室で、日本美術に囲まれて過ごしたことでしょう。壁には美人画、清水焼の花瓶に活けられた菊や芍薬、ナイトテーブルの上には、盆栽が置かれたでしょうか。それともゆらゆらと夢見るように泳ぐ、金魚のお鉢が飾られたのでしょうか。 遠い昔、ベルエポックと呼ばれた美しい時代の華やかな日々が、芳香に香るガレの名作です。