アーツ・アンド・クラフト/Arts and Crafts
イギリスの詩人、思想家、デザイナーであるウィリアム・モリス(1834-1896年)が主導したデザイン運動のこと。ヴィクトリア朝の時代、産業革命の結果として大量生産による安価ではあるが、粗悪な商品があふれていた。モリスはこうした状況を批判し、中世の手仕事に戻り、生活と芸術を統一することを主張した。モリス商会を設立し、書籍やインテリア製品などを製作。生活と芸術を一致させようとしたモリスの思想は各国にも大きな影響を与え、アール・ヌーヴォーなど各国の美術運動に影響を与えた。
アール・デコ/Art Deco
1920~30年代にかけてアール・ヌーヴォーの後を受けてヨーロッパに広がった装飾様式のこと。その名称は1925年に開催されたパリの「国際装飾美術展」のアール・デコラティブを略して「アール・デコ博」と呼んだことからきている。機械生産に合わせて素材のもつ特性や機能性が重視され、その結果、左右対称の直線による幾何学的な構成がモダンなスタイルとして一世を風靡した。単調ですっきりとした様式は新しい感覚として建築や工芸など様々な分野で取り入れられた。アメリカのエンパイアステートビルや東京都庭園美術館、ルネ・ラリックのガラス作品など。
アール・ヌーヴォー/Art Nouveau
フランス語で「新しい芸術」という意味で1880~1910年代に流行した装飾様式のこと。パリの美術商、サミュエル・ビングの店の名前、メゾン・ドゥ・ラール・ヌーヴォーに由来する。鉄やガラスを素材として使用し、植物をモチーフにした、蔦のようにしなやかで優しい曲線模様が特徴。フランスのナンシー地方のエミール・ガレやドーム、ラリックのガラス工芸などに取り入れられ、家具やテーブルウェア、装飾具、絵画にいたるまで、あらゆる分野に影響を与えた。そのナンシー派のガレをはじめ多くの芸術家が日本美術(ジャポニズム)に影響を受けた。1960年代にはアメリカでアール・ヌーヴォのリバイバルが起こり、その豊かな装飾性、個性的な造形が再評価されている。
アンピール様式/Style Empire
19世紀フランス、皇帝ナポレオンの第一帝政時代に始まり、建築・家具その他の装飾芸術の分野で流行した様式。1700年代のロココ様式と比較すると、直線的でシンプルなデザインが特徴。スフィンクスや月桂樹、パルメットなどをモチーフにした装飾に、古代ギリシャ・ローマの影響がうかがえる。建物や家具には、マホガニーや黒檀が使用され、オルモル(家具の金具や装飾に使用された、ブロンズに金メッキを施した素材)も当時の職人の技能が高い水準であったことを示している。
ヴィクトリアン/Victorian
ヴィクトリア女王の治世下、大英帝国と呼ばれ最も繁栄した1837~1901年の間に広まった装飾様式。荘厳華麗で気品のある装飾が特徴。この時代イギリスは産業革命を達成し、広大な植民地を支配する世界最強の国家として政治、経済のみならず、文化、美術の分野においても著しい発展がみられた。今日でも多くの人々を魅了し続けているイギリスのアンティーク陶磁器は、そのほとんどがこのヴィクトリア朝時代に制作された。
エドワーディアン/Edwardian
エドワード7世の治世(1901~1910)の装飾様式のこと。フランスでは「ベル・エポック」と呼ばれる時代にあたる。ヴィクトリア時代の荘厳華麗なデザインから一転し、左右対称の幾何学的なスタイル、直線を用いた端正なデザインが特徴。
ジョージアン/Georgian
英国ハノーヴァ王朝ジョージ1~4世(1714~1830)の治世。英国家具史上の絶頂期であり、この時代、トーマス・チッペンデール、トーマス・シェラトン、ジョージ・ヘップルホワイトなど名だたる家具デザイナーが活躍し、英国における家具の黄金期を築いた。当時、古代ギリシャやローマの古典様式が再認識され、その影響で家具のデザインにも古典的な様式が取り入れられた。
新古典主義/Neoclassicism
18世紀初期から中期にかけてイタリアのヘラクラネウムやポンペイなどの古代ローマの遺構の発掘が実施され、その結果、ヨーロッパでギリシャ・ローマの古代美術に対する関心が高まり、上流貴族や装飾美術家たちの間でも、華美なものより控えめな装飾でプロポーションの良い古典様式に注目が集まりはじめた。そうした風潮の中、ルイ15世様式として最高潮に達したロココ様式はしだいに余剰な装飾をそぎ落とした、シンプルな新古典主義へと移行。ルイ15世時代に流行した中国や日本の風景、草花をモチーフにしたデザインが古代ギリシャの造形美を基調とする形態と融合し、可憐で気品に満ちたネオクラシカル様式として誕生した。この様式はフランスではルイ16世が統治した時代に流行したことから“ルイ16世様式”とも呼ばれている。ルイ16世様式の家具はロココ様式とは対照的に、直線と幾何学的で厳格なプロポーションに基ずいて構成され、その装飾にはギリシャ建築に見られるコリント・オーダーの溝彫り付き円柱、帯模様のくり型、月桂樹やオークの葉などが使われた。また、家具のラインに影響を与えない象嵌や化粧張りなど、平面的な装飾が好んで用いられたのも特徴的である。
ロココ/Rococo
18世紀、ルイ15世のフランス宮廷から始まり、ヨーロッパ各国に伝えられ流行した。ロココはロカイユ(rocaille=18世紀に発達した小石、貝状の装飾モチーフ)に由来する。ヴェルサイユ宮殿の岩屋や、泉を装飾するのに使われた。流れるような曲線を主体にした造形、優雅で繊細な様式。バロックが男性的だとすれば、ロココは女性的だといえる。装飾は彫刻を主体としているが、白色、金色のほか、色彩を豊富に使っているのも特徴的である。堅固で安定したバランス感があるバロック様式に対しロココ様式は造形が非対象である。バロックの堅苦しい宮廷様式に飽きたフランス上流階級の気まぐれな趣味として、軽快、軽薄、風変わりとも言われたが、きわめてユニークで独創的な芸術様式として再評価された。特に椅子などの脚に用いられたカブリオールと呼ばれる曲線脚はロココを代表するデザインの一つ。フランスではルイ15世の時代に流行したスタイルであることから、ルイ15世様式とも呼ばれる。
素材・ディティールについて
ヴァセリンガラス/Vaseline Glass
着色剤として微量のウランを混入した乳白色のガラスのこと。その興りは1830年頃、ボヘミア地方で作られ始めたとされている。放射性の物質であるウランを使用しないと作れないため、当時は職人たちが命をかけてその魅惑的なガラスを作っていたが、現在は製造されておらず、世界中にマニアやコレクターがいるガラスとして名高い。ヴァセリンガラスは、光を灯すと、部屋の壁や天井に美しい陰影を映し出し、独特の雰囲気を醸し出してくれる。
ヴァル・サン・ランベール/Val Saint Lambert
1825年創業の老舗でベルギーを代表するクリスタルガラスメーカー。当時ベルギーを支配していたオランダ国王ウィリアムⅠ世の要請によって設立された。古都リエージュ近郊にあったヴァルサンランベール修道院を工場として買い上げ、第1歩を踏み出した。以来、色被せ技法と、カット技法を織り込みながら、独自の世界を確立。そのクリスタルガラスの作品は“ベルギーのロールスロイス”、“ベルギー至宝のクリスタルガラス”と謳われ、愛好家を魅了している。現在では、国が誇る代表的なクリスタルガラスメーカーとして、また古くから数々の製品がベルギー王室で愛用されている。すべての製品の底に、“Val Saint Lambert”の刻名がサンドブラストされている。アンティークのものはガラスの質感やカットの深さなどで現代物とは違う魅力を携えている。
ウォルナット/Walnut
クルミ科の落葉広葉樹で、主産地はフランス。薄茶色の木肌で木目が美しく、木質は硬くて狂いが少ないため、主に高級家具の資材として、化粧張り(木目の美しい部分を薄くスライスして板状にし、家具の表面に貼る技法)や、象嵌細工の一部などに使われることが多い。当時から稀少な高級資材として扱われていたため、無垢材が使用された家具は非常に珍しく、稀少価値がある。
エッチングガラス/Etching Glass
ガラスの表面に型紙などで保護部分をつくり、それ以外の部分を硫酸などの薬品を用いて腐食させ、デザインを施す技法。アール・ヌーヴォーの代表的なガラス作家であるエミール・ガレやドーム兄弟も、この装飾技法を用いた。近年のエッチングガラスのほとんどが、薬剤を用いなくても制作できるサンド・ブラストによる加工で、腐食液は仕上げのみに使用することが多い。一方、アンティークのエッチングガラスは、古来からの伝統的な手法を用いて手数を惜しまず制作されているため、繊細な線による表現や、面で深さを変えて明暗を作り出した、まるで銅版画のような、細かい描写を楽しむことができる。ステンドグラスと同じように、光を透過する場所のドアや窓に設えると、時間によって濃淡の表情を変え、繊細さを存分にを楽しむことができる。
エミール・ガレ/Emile Galle
19世紀後半フランスのナンシーを拠点に活躍したアール・ヌーヴォーを代表する工芸作家。1866年マイゼンタールの工房で本格的にガラス作りの技術を学び、1878年に開かれたパリ万博博覧会に出品し金賞を受賞。それ以来、次々と万国博覧会で賞を獲得し、アール・ヌーヴォーを代表する芸術家と言われるようになる。ガラス、家具など多岐に渡る分野で創造力を発揮し、独創的な作風で一世を風靡した。ガレの作品は、未完成の美の追求や、植物学を学んだ彼らしい草木や花、昆虫をモチーフにした自然界の美しさを描いた。ガレはガラスの加工技術を生み出したことでも有名で、焼成時に化合物を混入し、ガラス器の表面に金属的なふるいさびのような仕上げを生む「パチネ」技法や、ガラス片を熱で本体ガラスに圧着させる「マルケットリー」技法は特許を取得。文学や哲学、植物学、鉱物学などにも通じ、傑出した表現者であり、また企業家としてもその才能を開花させた。
オーク/Oak
現代のような家具を作り始めた15世紀にイギリスで使用されていた。木質が硬くて細工に耐えるため、脚の部分を細くツイスト状に削りだしたり、細かい彫刻を施すなど、多様なデザインが可能。木の持つ暖かみを味わえ、強く耐久性もあるので、家具の歴史の中で長く愛され続けている木材のひとつ。
オパールセントガラス/Opalescent glass
太陽光に照らすと宝石のオパールのような輝きを見せる乳白色のガラス。原材料の中に動物の骨灰などを混ぜて溶解、急速冷却した後に再加熱して作られる。反射光ではクールなブルー、光を透かすとオレンジ色に変化する。1925年頃からルネ・ラリックが用いアール・デコ期に大流行した。
カメオガラス/Cameo glass
2色、あるいは、それ以上のガラスの層を被せ、徐冷後、ホィールによってレリーフ状の浮き彫りを施したガラスのこと。色を被せるので「被せガラス」ともいわれ、約500度もの高温の柔らかいガラスにレリーフを施すには高度な技術が要求される。そのため被せガラスのアンティークはとても貴重。めのうや貝でつくられたカメオのように美しことから、この名前が付いている。古くは古代エジプトやローマにみられる技法で、有名な「ポートランドの壷」(大英博物館蔵・紀元前1世紀頃)は、その代表作である。アール・ヌーヴォーのガラス作家、ガレやドームの作品の中にも多くみられる技法。
クランベリーガラス/Cranberry glass
ガラスに金の化合物を加えることにより、赤い色のガラスになる。クランベリーの果実の色に似ていることからクランベリーガラスと呼ばれる。
サテンウッド/Satinwood
黄金色で木目のまっすぐな硬い木材で、木自体が小さく、稀少で高価な木材。磨くと艶やかな光沢と透明感が出て、まるでサテンのように美しいことから、この名前が付いたとされている。色合いは明るく、ローズウッドやマホガニーなどの濃い色の木と組み合わせて、象嵌細工などに使われることが多い。深い色合いの斑入りもあり、18世紀後半までは、マホガニーなどの化粧張りとして使用された。
サンルイ/Saint Louis
サン・ルイの工房は1586年に仏・ロレーヌ地方に建てられたが、その後30年の間は戦争により破壊状態にあった。1767年、フランス国王ルイ15世により「サン・ルイ王立ガラス工房」の称号が与えられた。初期にはボヘミア風のガラスを中心に生産していたが、王立の称号を与えられて15年後、工房長フランソワ・ド・ボフォールの指揮のもとにクリスタル・ガラスの製法を確立することとなる。そして、その時にサン・ルイが開発した技術が、バカラやヴァル・サン・ランベールへ伝わったという。やがて1829年を境に、サン・ルイはクリスタル・ガラスの製造に専念するようになり、名高いグラスを数々生み出すこととなる。そして、ワインの種類ごとに専用のグラスを使うテーブルマナーを導入し、グラス制作へと反映してゆく。特に19世紀中期には、エッチングやグラビュールなどの技法を用いたグラスが制作され、サン・ルイの、グラス製造技術が確立された時期である。100年の時が刻まれたアンティークのサン・ルイは、それらの技術の、まさに真骨頂を味わうことができる。
シュナイダー兄弟/Schneider Freres
兄エルンスト・シュナイダー(1877-1937)、弟シャルル・シュナイダー(1881-1953)。兄エルンストは1911年までドーム工房のセールスマンをした後、退社。弟シャルルは、ドーム工房のアートディレクターを1912年までして退社。1913年、エピネイ・シュール・セーヌに自分たちの工房を設立。シュナイダーの製品は、弟シャルルがデザインしたものである。Schneiderブランドの他にLe Verre FrancaisとCharlderの商標でも作品を販売した。
セーヴル/Sevres
1738年にフランス王室からの支援を受けパリ郊外のヴァンセンヌに開設された軟質磁器の窯が前身。ヴァンセンヌでは東洋芸術の模倣を中心に軟質磁器を焼いていた。その後、1745年、皇帝より磁器製造の特許権を得るとともに、それまでには教会のみが許された金の焼付けの権利を取得。この金彩の使用により、セーヴル独特のロココの装飾美や彩色にいっそうの豪華さが生み出されることになった。1751年、芸術・文化を愛し、陶芸に関心の深かったルイ15世の愛妾ポンパドール侯爵夫人によってベルサイユ宮殿に近いセーヴルに移される。一流の科学者、画家、彫刻家、金工家が集められ、豪華で気品のある作品を生み出す窯へ発展。その結果、「王者の青(ブリュ・ド・ロワ)」と「ポンパドール・ピンク」と呼ばれるセーヴル独自のカラーが生まれた。セーヴルは現在でも18世紀と同様のロクロを回して制作されるため、その生産量は年間約6000ピースに限定されている。また、そのほとんどがフランス国家のために作られるため希少性が高く「幻の窯」と呼ばれている。
ドーム兄弟/Daum Freres
アール・ヌーヴォーからアール・デコ期にかけて活躍したガラス工芸家。フランス東部のナンシーでガラス工場を経営していたジャン・ドームの息子で兄オーギュスト(Auguste Daum,1853-1909)と弟アントナン(Antonin Daum,1864-1930)の2人。兄は1878年に、弟は87年に父の工場のガラス製造事業に参加。二人は1889年のパリ万博で見たガレの作品に影響を受け、1890年から美術ガラスに転身。1891年に美術工芸品を制作する部門を設置し、ガラス工芸家や美術家など優秀なスタッフのもと水準の高いガラス製品を多数市場に送り出した。おだやかで、品の良いデザインが魅力。ルイ・マジョレルなどもドーム工房に参加し、コラボレートした作品を生み出している。1900年にパリ万国博覧会出品し、ガラス部門でグランプリを獲得。
ナンシー派/Ecole de Nancy
ナンシーはフランス東北部のロレーヌ地方の都市で、鉱山と製鉄業によって発展した。特にガラス工芸が発達しており、アール・ヌーヴォーのガラス工芸の巨匠エミール・ガレを代表とする芸術家を生み出した。ナンシー派は、そのエミール・ガレ(1846~1904年)がナンシー地方の美術・工芸家たちを集めて1901年に結成した「ナンシー派芸術産業地方同盟」の総称。ガレの他、ルイ・マジョレルなど36名の会員によって組織され、手工業の振興を目的に、芸術産業のための学校や美術館や図書館をつくり、会議や機関誌の発行、展覧会の開催などを目的とした。ナンシーは19世紀末~20世紀にわたる20年間程の間、優れた個性を持った芸術家たちの創造活動の中心となった。
バカラ/Baccarat
1764年フランスのロレーヌ地方、バカラ村に設立されたクリスタルガラスのメーカー。1823年フランス産業製品博覧会では、透明度の高いクリスタルと繊細なカット技法に注目が集まり、金賞をおさめる。それがきっかけとなり、ルイ18世をはじめ各国の王国貴族たちに愛されフランス宮廷の器の代表格として君臨し続ける。特に長い歴史を持つデザイン「ローハン」は、今も昔も絶大な人気を誇るシリーズ。薄手だがカットが深く、アンティークのものは今の出来よりも彫が深いのが特徴。
プチポワン/Petit Point
プチポワン(Petit Point)とはフランス語で"小さな点"という意味で、目の細かい絹キャンパス地に多彩な刺繍糸を用いて細かなステッチを刻んでいく刺繍技法。18世紀のウィーンで編み出された技法で、マリー・アントワネットをはじめ、ハプスブルク家の女性たちが好んだと言われている。拡大鏡を使用して手刺繍で 1 平方センチあたり 121-225 目のテント・ステッチ(ハーフ・クロス・ステッチと似ており、布地の裏に多く糸を渡して刺す技法)を施した物をさす。目が細かいことから、通常のクロス・ステッチと異なり、絵画的な表現を行うことができる。
マホガニー/Mahogany
光沢のある美しい紅褐色で軽くて硬く、耐久性にも優れた高級資材。原産地は中南米。イギリスでマホガニーの家具が作られるようになったのは輸入していたタバコを入れたマホガニー製の箱がきっかけだった、という説もある。18世紀中頃にはイギリス領下のジャマイカ、スペイン領下のキューバやホンジュラス産のものが高級品として取引されている。
マイセン/Meissen
18世紀初頭、ヨーロッパで初めて硬質磁器を生み出したドイツの名窯。ザクセン王国のアウグスト強健王が錬金術師ヨハン・フリードリッヒ・ベトガーに陶磁器の開発を命令し、ベドガーと物理学者・数学者・哲学者エーレンフリート・ヴァルター・フォン・チルンハウスによって、1709年にカオリンを原料とした白磁の製造に成功した。優美で緻密なテーブルウェアのほか、美しい表情のポーセリンドールを多数産出。今日最も有名なマイセン食器「ブルーオニオン」が誕生したのもマイセン窯の初期。1739年に、クレッチマーがデザインし、中国の染付けの技法を活かして焼き上げた。4個のザクロと4個の桃を実りと長寿の象徴として、人生の比喩のように描いた物。
ミューラー兄弟/Muller Freres Luneville
フランスのモーゼル地方に生まれた男子9人と女子1人の10人兄弟姉妹。彼らはサン・ルイガラス工場で働いていたが、そののちデジレ、ウジェーヌ、アンリ、ピエール、ヴィクトールの5人がエミール・ガレの工房で働き、その技法や作品の様式を学んだ。1895年アンリが独立し、リュネヴィルに工房を開設。その後兄弟全員が参加してガラス生産を開始。初期の製品の主流はカメオガラスで一部エナメル彩のものも製造された。アール・ヌーヴォー様式のものからアールデコ様式に移行していき、フォルムと装飾はキュビズム的な装飾から着想された。ガレに続く世代に属するミューラー兄弟は、ドームのように1900年から1925年まで自在に変化し、彼らの手工業、その後の部分的工業による製品は、技術面からみても美学面からみても、ほぼ一貫してナンシー派のガラス製品と同じ質の高さを維持している。
ミントン/Minton
銅版転写の彫刻士であった、トーマス・、ミントンによって1793年に創業された。ミントンは豪華に金彩を施した食器を数々生み出し、1840年ミントンを訪れたヴィクトリア女王より「世界で一番美しいボーンチャイナ」と賞賛。戦後は金彩を施したシリーズから一変し、1948年デザイナーのジョン・ワズワースがダービシャーのマナーハウス、ハドンホール城の壁画をヒントにした「ハドンホール」を発表し、ミントンの永遠の定番品として、その名を世界に知らしめた。
リエージュ/Liege
ベルギーのフランス語圏、ワロン地方最大の都市。ベルギー文化の半分があると言われる程、数多くの美術館、博物館、史跡がある。多彩で豊かな過去の名残をとどめた町から生み出された家具は、究極のものを求めたヨーロッパ中の貴族達を魅了した。施される彫刻は、中世より伝統産業である、ベルギーレースを彷彿とさせる繊細さを放つ。
ルイ・マジョレル/Louis Majorelle
アール・ヌーヴォーを代表するフランスの家具デザイナー。パリ美術学校で絵画を学んだが、1879年、父の死により家具と陶芸を扱う家業を継ぎ、伝統的様式の家具制作に専念する。1898年以降は植物の形態を母体とする高雅で彫塑的なアール・ヌーヴォーの家具を制作。ガレの成功に励まされて、より個性的な追求を試みたナンシー派を代表する家具作家として活躍。1900年のパリ万博では、食堂家具、寝室家具、インテリア《睡蓮》を発表し注目を浴びる。マジョレルもガレと同じように象嵌細工による装飾をさかんに用いているが、ガレとの違いは、ガレがロレーヌ地方の木であるナシやリンゴのやわらかな材質を好んでいるのに対して、マジョレルは紫檀やウォールナットやチーク材のような硬い木を好み、より彫刻的なフォルムで男性的な作品が特徴である。
ルネ・ラリック/Rene Lalique
1860年フランス・シャンパーニュ地方に生まれたガラス工芸家、宝飾デザイナー。1900年代に開かれたパリ万国博覧会で「アール・ヌーヴォー」の宝飾デザイナーとして名声を得、その後ガラス工芸品の制作に転向して「アール・デコ」の工芸作家として成功を収めた。作品のモチーフは主に、動・植物などの自然物と、古典的な人物像を用いて、屋内外の幅広いジャンルにガラス作品を創作している。素材は乳白色で半透明のオパルセント・ガラスを好んで用い、技法的には、型吹き成形及びプレス成形、蝋型鋳造で形造ったガラスの表面に、パチネやサチネなどの仕上げの技法を用いて、独自の作風を確立した。その功績は、実用的な製品を、洗練された感性と独自の技術によって、知的で気品ある造形美に引き上げたことにあるといえる。
その他について
カップボード/Cupboard
16世紀、エリザベス1世の時代、銀器や磁器のコレクションを宮廷内に飾ることを目的に誕生した家具。銀器や陶磁器、ガラス製品等を美術品としてコレクションする習慣のあるヨーロッパでは、小物を美しく飾る目的と、保管する目的を両立するために登場した家具。デザインは、扉の無いオープンタイプのものや、ガラス製の扉の付いたものがあり、上部が陳列棚で、下部が収納戸といった機能的なタイプが主流。サイズも大きめで迫力のあるものから、小振りで可愛らしいものまで様々。
クレデンザ/Credenza
クレデンザとは、元来16世紀イタリアのキャビネット(飾り棚)を指す。形状は弓形か曲面形で、背を壁に付けて使用されることが多い。天板は大理石のものが多く、下部が収納になっており、機能面も考慮されている。
ゲートレッグテーブル/Gateleg Table
天板が3枚からなり、収納時に両脇の二枚の天板が垂れ下がった状態になり、使用時にはその二枚の天板を持ち上げて拡張し使用することのできるテーブル。両脇の天板を支えるための補助の脚が、ゲート(門)のように開閉することから付けられた名称。ゲートレッグテーブルでは特に、脚がツイストに彫られたデザインのものが最もオーソドックスで、原形は16世紀後半に登場、18世紀後半にかけては様々なデザインのものが作られた。両脇のテーブルを閉じた状態で、サイドテーブルのように使用したり、片方の天板のみを拡げて壁際に付け、コンソールや花台のように使用する等、アイデア次第で幅広く楽しむことができる。
コモード/Commode
コモードとは、イギリスの家具でいうチェストを指すフランス語。しかし、イギリスのチェストが全体的に直線的で、シンプルなデザインのものが多いのに対して、コモードは、単なるチェストではなくまさにフランスのロココ様式を彷彿させる、非常に凝ったデザインのものが多いのが特徴。コモードには全体的に曲線中心でデザインされたものが多く、家具表面には、貴重なキングウッドやサテンウッド等を用いた象嵌細工や化粧張りが施され、引き出しの取手や家具の足元等にブロンズ製の装飾の施されたものや、大理石による特注の天板のあるものが多い。コモードが部屋の中心に置かれることが多いことから考えて、フランス家具の真骨頂と言える、装飾性の高い家具。
コンソール/Console
壁付けのテーブルのことで、サイドボードの原形と言われている。もとは、壁に固定させて使用するものをいい、単体で自立しないもののみをコンソールと呼んでいたが、18世紀初頭からはその範囲に限らず、様々なデザインのものが作られている。中には、脚が一本で、壁に固定して使用することが前提のものから、三本以上の脚で、単体でも安定する形状のものまで様々だが、現在ではそれらを総称してコンソールと呼んでいる。デザインも素材も幅広く、オーク材のものやマホガニー材のもの、天板が革張りや大理石のものなど多種多様。半円形に近い形で奥行きの浅いものが多く、上部の壁には鏡や絵画、ウォールランプ等と組み合わせて設えると、スペースをとらずに雰囲気のある空間をつくり出すことができる。
サイドバイサイド/Side-by-Side
1900年代に入ってから作られ始めた家具で、中央にビューロー(上部から手前に倒れる一枚の扉を開くと、ライティング部分が現れる仕組みの家具)を据え、左右をキャビネット(ブックケース)で挟んだデザインの家具のこと。ビューロー単体のものより希少性が高く、キャビネット部分は、普段はブックケースとして本を立てたり、ショーケースとしてコレクションの品を飾って使用することができ、さらにはビューローにもなるという大変機能的な家具。
サザーランドテーブル/Sutherland Table
名称の由来は諸説あり、ヴィクトリア女王の親友で女官長でもあったサザーランド公爵夫人の名に由来すると言われている。通常のテーブルに比べると、上面が狭く、蝶番付きの垂れ板は、幅広でたたんだ時には脚とほぼ同じ長さになり、折りたたんだ時の状態がとても薄いのが特徴。
シフォニエ/Chiffonier
フランスでは、衣服ではない布製の装飾品や食堂用の布類を収納するチェストのことをさすが、イギリスでは大きな鏡付きで、丈が高い食器戸棚のことをあいう。特に、ヴィクトリア時代の重厚な装飾彫刻が施されたヴィクトリアン・シフォニエは、荘厳で格調高く、代表的なものと言える。
スツール/Stool
肘掛け、背もたれのない一人用腰掛。腰掛の初期の形はベンチ型で、その後個人用の腰掛に発展。通常の型は組み立て式のジョイント・スツール(挽物部材をホゾ継ぎで組み立てた腰掛)から発達しました。17世紀後期になると座席に詰め物や布・革張りが施され、座り心地も改良される。クィーン・アン時代のスツール脚には椅子に使われる猫脚が引き継がれ、座面が刺繍のものや脚に彫刻が入った装飾の美しいものが制作されるようになる。
セティ/Settee
17世紀に登場した肘掛と背もたれの付いた長椅子のこと。長方形の箱に腰掛けたことでベンチになり、それに背が付いてセットル、座面が布張りになりセティ、その後にソファに発展したと言われている
ドローリーフテーブル/Draw Leaf Table
17世紀に流行した拡張版を引き出して天板のサイズを広くして使用できるテーブル。主天板の下に左右2枚の天板が仕込まれ、両側から引き出すことにより、簡単に天板のサイズを変えられる。その多くはオーク材がふんだんに使用されており天板の縁や、脚に凝った彫刻のものがみられる。どっしりとして重厚なブルボーズレッグ(球根型)やツイスト型など個性的なデザインが楽しめるのも魅力のひとつで、椅子やサイドボードがセットで見つかることもある。日本の住宅事情にも合い機能的なため、アンティークファン以外にも、もっとも人気のあるアンティーク家具のひとつ。
ネストテーブル/Nest Table
3~4組からなる入れ子式の小振りなテーブルセット。1800年頃からローズウッドやマホガニーで制作された。当初はカルテット(4つ組テーブル)といわれ、その後、3つ組のトリオも誕生し、19世紀中に広く普及し主にリビングなどで使用された。
ビューロー/Bureau
17世紀中頃にテーブルの上で使用した樫製の箱から、立脚型の独立した家具へと発展したもの。17世紀後期までには、樫製の箱の置き台の部分が引き出しに代わり、18世紀初期になると、置台とその上にのせていた箱とが一つになった。なにも無かった机の下の空間には引き出しが作られビューローが誕生した。上部は蓋を手前に倒すと書き物ができ、下部は引き出しになっていて収納ができる家具。上部内部には中棚や小引き出しがあり小物が収納できる。
ベントウッドチェア/Bentwood chair
ミヒャエル・トーネットが発明し誕生した曲げ木の椅子。ブナの木を蒸気の熱で曲げて作られる。軽くて丈夫なため当時ヨーロッパのカフェで流行した。座面には型押しのデザインが施されているものが多くある。
ペンブルックテーブル/Pembroke table
ペンブルック(ペンブローク)テーブルという名は、1760年頃最初に注文したペンブローク伯爵夫人の名が由来となっている。天板の両サイドが折れ曲がる仕組みになっており、広く使いたいときは天板を上げてブラケットで固定できる。ジョージアン後期のイギリスで流行した家具。天板部分には芸術的な象嵌細工や直接絵を描いた物もあり、天板を立てることによってまるで絵画のような空間を演出することができる。