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16世紀後半から19世紀にかけて、イギリスの各地に、カントリー・ハウスと呼ばれる大邸宅が建てられました。産業革命に大成功した大英帝国は、世界の工場と呼ばれ、その繁栄を欲しい侭にしていました。貴族達は贅をつくし、その権力を誇示するために広大な領地に思い思いの館を建てさせました。英国貴族の生活スタイルを反映する建築スタイルの中で、知的な設えと古典的で繊細な装飾で貴族達に絶大な支持を受けたのは、建築家・ロバート・アダムの推奨したネオ・クラシカル(新古典主義)でした。
そのロバート・アダムのネオクラシカル様式を体現した荘厳なペイントコモード。アダムが手掛けた数々のカントリー・ハウスの室内で、重要な意味を持ったハンドペイントを施した家具…。大英帝国に、学問と芸術が花開いた時代に流行したアダムのスタイルが、最も繁栄したヴィクトリア女王の時代に流行しました。ヴィクトリア時代の人々が求めた、生活に美を取り入れる素晴らしさ。蘇えった新古典主義は、人々にどんな豊かさをもたらしたのでしょうか。それでは細部を見ていきましょう。
Demi-lune Commode―半月型のコモードと名付けられた、丸く曲線を描く姿には、美しいマホガニーの木目を計算に入れて施した象嵌、艶やかな木肌を背景に描かれる渾身のハンドペイントが、細部に渡り細かく施されています。
天板には、愛らしいスミレ、優美なバラ、清楚なスズランの姿がみずみずしく緻密に描かれています。可憐な花々全てに、命が込められているようです。
天板下、古典的な文様が精緻に描かれています。向かって左側側面メダイヨンの中に、元老の横顔。知性に満ちたその容貌は、思索する哲学者を連想させます。左右には、再生と不死の象徴、火の鳥の姿。細い筆先で細密に描かれたその姿は、生命の煌めきを帯びながら、今にも飛たたんばかりに躍動的に描かれています。
中央部、美しい女神の貌。このコモードに捧げられた、月の女神ルナの姿でしょうか。潮の満ち欠け、安らかさを司る月の女神が、謎めいて微笑み、神秘的にコモードを装飾しています。
右側には兜をつけたローマ兵の勇壮な表情。取り囲む華麗な唐草文様のモチーフが、兵士に安らぎを与えているようです。
そして3つの扉。それぞれ木目をX型に象嵌する、ダイヤモンドリバースマッチの中央に、オーバル型の背景が組み込まれ、秀逸なハンドペイントが施されます。
左右はめ殺しの扉に描かれるのは、花瓶に活けられた大輪のバラ。ヨーロッパでは、花瓶に活けられた花は、「生命の泉」に喩えられる象徴的なモチーフです。艶やかなエメラルド色の花瓶に咲き誇るバラ。朝摘みのバラの花弁は硬く、甘い香りを放つ花びらは、柔らかでずっしりとした重みを孕んでいます。18世紀にロバート・アダムが手掛けた数々の豪奢な貴族の館、カントリー・ハウスは、幾重にも淡い彩色がなされる天井と、響き合うカーペット、大理石の柱に支配されており、その中に置かれる家具は、古典的な世界観に美しく調和するものが選ばれました。その中でも、ハンド・ペイントを施した家具は、室内を華麗に演出する重要な要素でした。
中央の扉に描かれる、神々の森の風景。見る者の眼を捕えて離しません。太陽神アポロンに付き従う、諸芸術を司る九人の女神ミューズから、二人の女神が描かれています。「英雄を讃える女神」ポリムニアは、左肩あらわにヴィオラ・ダ・ガンバを奏でます。摘んだばかりの花で編んだ花冠が、豊かな髪を飾っています。傍らに寄り添い、楽譜を見せる、「愛の女神」エラトー。背景には、深く豊かな森の風景が、幻想的に描かれています。浮かび上がる森の樹々。清々しく、甘い香りが漂う神々の森に、豊かなヴィオラ・ダ・ガンバの音色が永遠の春を讃えるように鳴り響きます。コモードに描かれたペインターの渾身の技は、優れた風景画・静物画を凌駕するものです。
中央の扉を開くと、深紅のベルベットが張られた棚が現れました。
コモードの上下に伸びる、古典的な直線のライン。そしてその直線を延長するテーパードレッグの静謐な佇まい。ヴィクトリア女王期の上流社会では、1870年代頃から、ロバート・アダムやトーマス・チッペンデールが18世紀に推奨した、ネオクラシカルスタイルが大流行しました。隅々まで装飾が行き届いたネオクラシカルに、心の安らぎを求めたのです。
邸の大改造を計画していた、スカーズデール子爵は、イタリア帰りの建築家、ロバート・アダムを邸に迎えます。アダムのデザインに魅せられた子爵は、改造のデザイン全てをアダムに一任します。完成した大邸宅はケドルストン・ホールと名付けられ、天才建築家、アダムの時代が始まりました。数々の歴史的逸話を生み出した舞台、カントリー・ハウス。誇り高きジェントルマンシップの背景。時空を超え、眼前にたたずむコモードは、栄光の英国の歴史を今日まで受け継いでいます。