1790年代にベルギーの古都リエージュで製作された、美術博物館に展示されている※リージェンシー様式によるワードローブ。
このワードローブは、もともと一対で創られたものの片方で、もう片方は、現在ベルギーの首都ブリュッセルにある王立美術・歴史博物館Bruxelles, Musees royaux d’Art et d’Historieに展示されています。
ルネサンスの教会文化の影響を濃く受けて、ヨーロッパ諸国の中で最も教会装飾に木彫を取り入れたのは、ベルギーとドイツです。バロック芸術隆盛期の1614年、ベルギーのアルバート大公は宗教抗争によって破壊された教会修復を手掛け、主に木彫装飾の修復事業に尽力しました。これをきっかけに、ベルギーは木彫技術を飛躍的に発展させたと言われています。その技術は、家具製作の技術に活かされ、「教会の街」リエージュをヨーロッパ有数の高級家具生産地に育てていきました。
高さ2メートル23センチ、横幅2メートル12センチ…。目の前に在るのは、まるで巨大な木の彫刻のようです。ワードローブは、三つの扉で構成され、上部・中央部・下部に見事な彫刻が施されています。それぞれの扉の中心に彫刻されているのは、地上、教会近くの風景。愛の象徴である天使が、様々に描かれています。また、家具のあらゆる箇所では、リージェンシー様式の代表的モチーフ、ヤシの木・ロカイユ・シェルや花々が生の喜びを奔放に表現しています。消え入りそうに細い花のつるや、伸びやかに咲き誇る花々は、表面にうっすらと浮き上がるように丁寧に彫刻されています。材質が硬く、加工が困難なオーク材の表面にこれほど精巧な彫刻を施せるのは、リエージュ家具ならではの高等技術と言えるでしょう。その姿を見上げながら、ゆっくりと細部を眺めて行くうちに、作品に込められた製作者たちの技巧への賛美と、完成された「美」に対する畏怖が静かに沸き起こって来ます。
ヨーロッパ文化爛熟期の高度な家具創りの技術と、洗練に洗練を重ねたヨーロッパの美意識が、奇跡の様な均衡を保って、ここにひとつの逸品が生み出されました。
※ロカイユは岩の意味で、バロック時代の庭園に造られた洞窟(グロッタ)に見られる岩組のこと。それが転じて、1730年代に流行していた、曲線を多用する繊細なインテリア装飾をロカイユ装飾(ロカイユ模様)と呼ぶようになりました。「ロココ」は、ロカイユに由来します。)※ベルギーにおけるリージェンシー様式は、フランスの影響を受けています。リージェンシー(摂政)様式がフランスで流行したのは、1715-1723。ルイ15世がわずか5歳でブルボン王朝を即位したため、オルレアン公フィリップ2世が摂政として活躍した時代です。神話や東洋の美術に影響をうけた、可憐でロマンティックなスタイルがヨーロッパ中で愛され、特にアンティークコレクターに好まれています。